コラム

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北野生涯教育振興会が主催する懸賞論文で、第3席に入賞しました。

第43回となる2021年のテーマは「コロナ禍から学ぶ」。

2020年3月の全国一斉休校に始まって、子どもたちは新型コロナウイルス感染症によりさまざまな制約を受けました。

そんな中で、子どもたちの学びや遊びのために身銭を切って活動していた人たちのことについて簡単なエッセーを書きました。

私と進学塾塾長で始めたオンライン自習室。

私の妻が始めた「川遊びの会」。

新庄青年会議所による毎年恒例の「雪まつり」。

非常事態特有の興奮状態で、自分の利益や保身よりも、子どものような社会的弱者のために動くことの方に私は爽快感や万能感を覚えていました。

ボランティア、社会貢献という言葉はあまり好きではありません。
自分がやりたいように、打算的な意味も含めて自由にやったことです。

自画自賛くさい内容で全然文学的ではないですが、評価いただいたことに感謝です。

北野生涯教育振興会 https://www.kitanozaidan.or.jp/

(2021/11/9 追記)

北野生涯教育振興会様より許可をいただき、本文掲載させていただきます。


 ウィズ・コロナ・ウィズ・チルドレン

~非常事態の中の「恩送り」~

 二〇二〇年四月二日、山形県新庄市。人口約三万五千人の小さな街で、市内初の新型コロナウイルス感染症陽性者が出た。さらに二日後、その陽性者の家族五名も感染していることが発覚。県内にも徐々に感染の恐怖が忍び寄っていた矢先、突然市内で発生した家庭内クラスターに、市民はパニックに陥った。

フリーのライターを本業とする傍ら、地元の個人塾で塾講師をしていた私は、ただちに塾長にすべての授業を休講にするよう進言した。万が一塾に通う生徒の中からコロナ感染者を出した場合、休講に伴う一時的な収入減よりも、信用失墜により塾生が離れていくことのほうがよほど深刻な打撃となる可能性があった。田舎は一度評判を落とすとどんなことになるかわからない。クラスターを出してしまった家族は、実際、SNSで言葉の暴力を浴びせられていた(後に、その家族は何者かによる投石で窓ガラスを割られ、街を出ていくことになる)。

塾長はすぐ私の提案を受け入れてくれた。そして私と塾長とで緊急ミーティングを開いた。すでに市内の小中高校は、政府からの要請により約一カ月間の休校を続けていて、学業の遅れはもちろん、日常生活も荒れ始めていた。起床時間が遅くなり、ゲームや動画サイトばかりの毎日で、たまにプリント配布による宿題を出すのみの小学校、中学校に対する不信感も保護者の間に募っていた。

私はどこかのメディアで目にした「オンライン自習室」の開設を塾長に提案した。オンライン自習室は、web会議システム「Zoom」のカメラ機能を利用し、講師と生徒たちで互いに顔を見ながら勉強するという取り組みだ。一人自宅で勉強するよりも、他人の顔が見えると社会的促進が働き集中力が増すという。

対面授業ができない状況下、世間ではオンライン授業の必要性が騒がれ始めていた。しかし、急に授業をオンライン化できるほどの準備はできていない。そこで、まずはネットをつなぐだけでできるオンライン自習室を始めることにしたのである。勉強を教えるというよりも、子どもたちの生活リズムを整え、孤独感を和らげることがまずは課題だった。

先行きはまったく見えなかったが、私も塾長もZoomの使い方から学び、塾生たちにオンライン自習室開設の旨を伝えた。うまくいくかどうかよりも、この非常事態で大人が新しいことを学び、試行錯誤している姿を見せるということが、今子どもたちに一番必要な教育だと思った。

私は自宅の一角でパソコン仕事をするのが日常だったので、平日の日中でもタブレット端末を脇に置き、塾生たちの様子を見ることができた。私が午前、塾長が午後を担当することになった。朝九時から「自習室」を開け、できるだけ時間通りに来室するように勧めた。

操作方法の周知不足や回線トラブルなどの問題は多々あったが、「一人で勉強するよりも集中できる」という塾生たちの感想も多く、一定の成果は出せた。地元の新聞記者に頼んで、記事にもしてもらった。

これはあくまで私の働く塾に通う塾生だけを対象にした取り組みだった。しかしこの地域には、学校に行けず、誰とも顔を合わさずにいる児童・生徒が大勢いる。そこで、私は塾とは別に、「もがみオンライン自習室」を個人的に開設することにした。山形県最上地域の小中学生に限定して、誰でも利用できるサービスを用意した。利用してくれた子どもたちの幾人かでも、後々塾に入ってくれればいいという目算もあった。紹介でリベートがあるわけではないが、塾長に休講を進言した手前、少しでも赤字の補填をしなければという責任を感じていた。

一人でも多くの子どもに知ってもらおうと、地元のテレビ局に取材に来てもらった。翌日夕方のニュースで放送され、あちこちから「見たよ」という声が届いた。

参加する子どもは十人程度と少なかったが、少ないなりに意味はあったと思っている。「そういえばコロナで大変だったときに、オンラインで何かやってくれたおじさんがいた」と、数十年後にでも思い出してくれればいい。そのとき、彼ら彼女らは、世の中捨てたもんじゃないと、社会に希望を持ってくれるだろう。

私と塾長がZoomの使い方に慣れ、講師と塾生の1対1でのオンライン授業を試験的に運用し始めたころ、学校が分散登校などの対策を講じながら休校の解除をしていった。地域に新規陽性者が出ていなかったこともあり、学習塾も通常通りの対面授業を再開することにした。オンライン自習室の役目はここで終了となった。

なぜ突然私がこんな使命感のようなものを抱いたのかはわからない。誰もやらないから自分がやるしかないと感じたのだろう。世間の大人たちは、感染の恐ろしさと、給付金がいくらもらえるのかといった話題ばかりに囚われていた。人格形成の大切な時期に、異常事態に放り込まれた子どもたちを思って何かしてやろうと考える大人は、私の知る限りまわりにはほとんどいなかった。

一カ月ほど経ったある日、突然新庄青年会議所から電話がかかってきた。新型コロナの騒ぎの中で地域のために動いていた人たちの情報を集めているという。連絡をくれたのは、青年会議所メンバーであり、隣町にある食品会社の若社長だった。「もがみオンライン自習室」のテレビ放映を見て、注目していたとのことだった。

新庄青年会議所は年会費が十万円。さらにイベントなどの事業が近づくと、本業そっちのけで時間と労力を割かねばならない。なかなかストイックな団体ではあるが、身銭を切ってまで地域のために働くというその精神が、笑ってしまうほどに硬派で、コロナ禍で混迷を極める世にあっては圧倒的に魅力的に見えた。その後私は青年会議所から勧誘され、入会することにした。

第一波の衝撃が収束してきた頃、妻も子どもたちのための取り組みを始めた。

ある晴れた初夏の日、窓を開けて仕事をしている私の耳に、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてきた。妻が息子と近所の同年代の子ども二人を川の中に入れて遊ばせていた。そこは妻自身、小さいころによく遊んだ川でもある。近所に住む大人たちは皆、かつてこの川で遊んだ思い出をもっている。近所の人たちも家から顔を出し、目を細めて子どもたちを見ていた。閉塞感ただよう街に、突然窓が開かれて朝日が射しこんだような気分だった。

息子のあまりの楽しそうな表情に、「他の子どもたちにもこの遊び場を提供したい」と興奮する妻が、すぐに動いた。近所や知り合いのお母さんたちに声をかけた。幼稚園が休みになる毎週末に集まり、どじょうを取ったり、カヌーを浮かべたりして楽しんだ。私もお手伝いをした。すぐ近くの公民館を借りて、室内で休憩したりお絵描きをさせたりもした。子どもを遊ばせる県内施設は軒並み閉鎖、あるいは制限されていた時期で、小さな子どもを持つ家庭はかなり息苦しい生活を送っていたようだ。特に外からこの街に嫁いできた方々は、悩みを打ち明けられる友だちもなく、独りで抱え込んでいるような状況だった。妻の誘いに、涙を流す人もいた。

川遊びの会は川の水が冷たくなる十一月ころまで続けた。たまに、私の知人の農家に頼んで、芋掘りやぶどう狩りをさせてもらうこともあった。会の開催を知らせるために作ったSNSのグループトークは、お母さん同士の情報交換に使われるようにもなった。平日の午後には幼稚園の帰りに呼びかけ合って公園に集まり子どもたちを遊ばせることもあった。川遊びの会は、地域のお母さん方のプラットフォームになった。

新型コロナが私に見せてくれたものは、他人のために動ける人間かどうかでふるいにかけられた世界だった。誰かのために何かできないだろうかと、駆り立てられるように行動する者と、自粛を命じられて持て余す時間を自分のために悠々と使う者。

私は駆り立てられる側の人間であってよかったと思っている。オンライン自習室や川遊びの会に少なからぬ時間と労力とお金を費やしたが、損得勘定は働いていない。むしろ自分がためらわずに身銭を切れる人間であったということがわかってうれしい。

新庄青年会議所主催の一大行事である雪まつりが二〇二一年二月に行われた。昨年からの自粛ムードを押し破るように実施に踏み切り、子どもたちの喜ぶ顔を見ることができた。あるメンバーは、協賛金のお願いに伺った会社の社長から、こんなことを言われた。「子どものころ、雪まつりは楽しかっただろう。だったら、今度は君たちが子どもたちを楽しませる番だ」と。それを聞いた理事長は「青年会議所は、次の世代への恩送りの組織なんだ」と言った。

私は六年ほど前に千葉県から山形県に移住し、人に恩を渡していくことの重要性を地域の人たちから学んだ。恩は惜しみなく人に渡し、人から受け取った恩は次の人たちに流していく。恩を流していると、次々に恩が入ってくることを、身をもって知った。

折しもSDGsや資本主義の限界といった言説が流行している。ポストコロナは、恩送りの世の中になっているだろうか。たぶん、実現は程遠いだろう。人は自分自身のために資源を消費することに慣れすぎている。それでも、一人でも恩送りに乗ってくれる子どもたちが増えてくれればいい。一人の人間に恩送りを伝えることはできる。新型コロナは、私に、それを気づかせてくれた。

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