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「村川さん、やめてくださいよー」
で有名な、北野武監督の『ソナチネ』です。
観てない方にはなんのことかさっぱりでしょうが、一度観たら頭から離れない名シーンです。
ヤクザの怖さが生々しい。

自己満足の映画評をします。

北野監督が描く「ヤクザ」

『HANA-BI』でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞して以来、「世界の北野」と称され、なにかと批評されるようになった北野監督作品。
よく言われるのが暴力シーンです。
北野監督が描く暴力の特徴は、油断しているところに唐突に現れ、あっけなくケリがつくところ。
これについては監督本人も語っています(『余生』だったかと思いますが、記憶不確かです。以下の記述も記憶を頼りにしています)。

「殴り倒されて、「なにくそ」みたいな感じで起き上がって、また殴り合うケンカがよく描かれるが、あれは嘘。プロのケンカは一瞬で決まるもんだ」と。

北野監督が育った足立区の下町にはヤクザがたくさんいて、家の中から道端でケンカしているのを実際に見たこともある。あるヤクザは、首から下げていた手ぬぐいをすっと引き抜き、道端の石を拾って包み、重みを利用した遠心力で思いきり振りぬいて相手を一発KOした、と。
このときの記憶が、『HANA-BI』での砂浜でのシーンに活かされているそうです(繰り返しますが、記憶で書いていますので、悪しからずご了承ください)。
つまり、北野監督の描くヤクザには、それだけリアリティがあって生々しい、ということです。

さて、『ソナチネ』のヤクザです(登場人物はほぼヤクザ)。
コミカルで、かわいらしいシーンがたくさんあります。
でも、残酷なことも淡々とやってしまう。
この落差が恐ろしい。
純粋な暴力とでもいうんでしょうか。
唯一まともな、ヤクザらしいヤクザが片桐(大杉連)という男で、冷静沈着、だが決めにいくときはドスを利かせた声で凄む幹部です。
よくある昔のヤクザ映画でのステレオタイプに近いのですが、『ソナチネ』においては、この片桐が“まともなヤクザ”すぎて、かえってコミカルになってしまうという逆転現象が起きています。
これは、たぶん監督が意図的にやっていると思います。
“まともなヤクザ”であればあるほど、まわりから浮いてしまうという、なんとも哀しいキャラなのです。
全編を通して、こういうコミカルな世界勘でヤクザが描かれていて(コメディではないのに)、その象徴的なシーンが、冒頭で書いた「村川さん。やめてくださいよー」です。
本当に、このシーンは目にも、耳にもこびりついて、しばらく離れなくなります。
Googleで“村川さん”と検索すると、サジェストで「やめてくださいよ」が出てくるくらいです。

ストーリーもメッセージもなんにもない

僕がこの映画を初めて観たのは、20歳のときです。
ちょうど『HANA-BI』のヴェネツィア金獅子賞で、監督・北野武が世間に定着しはじめたころで、通っていた大学の図書館に北野作品がほぼすべてライブラリーで取りそろえられたのでした。
観ました。

――ラストシーンの銃声。
――そして、エンドロール。

しばらく呆然として動けなくなったのを覚えています。
「なんだ、この映画は……」
これまでに観てきた映画の常識を覆されました。
なにしろ、たいしたストーリーなんてなくて、メッセージ性もまったくない。
面白い、とも言いがたい。
でも、身動きがとれなくなるほど呑みこまれてしまった。
この映画はいったいなんなのか。
今でもこの映画の魅力について考えさせられてしまっています。

突然の死と無言の会話:殺し屋が浜辺にやってくるシーン

さて、ここからネタバレします。
これから『ソナチネ』を初めて鑑賞するという方は当サイトから逃げてください。
しっかりと内容のことを書きます。

僕が一番好きなシーンです。
それは、ケン(寺島進)が殺されるシーン。
沖縄の砂浜で、ケンと良二(勝村政信)がフリスビーを投げ合って遊んでいます。
その様子を、浜に引き揚げられた釣り舟に寄りかかって、笑いながら見ている組長の村川(ビートたけし)と謎の女・幸(国舞亜矢)。
釣り舟の向こうの方から、釣竿をかついだおじさん(南方英二)がのろのろと歩いてくる。
ふと、良二の投げたフリスビーがケンの頭上を通り越してしまう。「テメエなにやってんだよ」と言いながら取りに行くケン。フリスビーは村川のすぐ目の前に落ちる。
フリスビーを追いかけるケン…、村川の前で立ち止まる。
村川の寄りかかる舟の向こうに、釣り人のおじさんが立っていた。
ケンに銃口を向けている。
暴投をおかした良二は逃げた。
ケンの額に銃弾が叩きこまれる。
村川組長の前にくずおれるケン。
ケンの死を無表情に見ている村川。
釣り人に扮した殺し屋は、舟の向こう側に標的の村川がいることに気づかず、立ち去っていく――。

このときの、ケンの死に様にしびれてしまった。
ケンにとっては、唐突に現れた死です。
暴力の応酬の日々から解放されて、気を緩めて遊んでいたときに、突然、ほんの数メートル先に死がやってきた。
ケンの目は、即座に死を悟り、殺し屋を捉えます。
まっすぐ殺し屋に視線を向けて、外しません。
この視線がすごい。
もし自分がケンの状況に置かれていたら、すぐ足元にいる村川組長に視線を落としていたはずです。
死への不安で、親分に助けを求めたかもしれない。
でも、ケンは組長をまったく見なかった。
もし一瞬でも親分を見てしまったら、目の動きで殺し屋に気づかれてしまうから。
親分は丸腰。殺し屋に勝てない。
良二は逃げました。
ケンは、逃げない。逃げてしまうと、釣り舟を超えて殺し屋が追いかけてくる。そうすると親分が気づかれてしまう。
だから、ケンは、ただ視線を殺し屋に据えたまま、黙って殺されます。
村川も異常を悟ります。そして、目の前で子分が砂浜に倒れる。倒れたケンを、村川は無表情に見ています。

この、銃声と波の音だけのシーンに詰めこまれた、男同士の無言の会話。なんともたまらない気持ちになります。

ちなみに、このときすぐさま逃げだした良二。クライマックスのシーンで、死ぬつもりで復讐に臨む村川に対し、「オレも行きますよ」とその気もないのに男を見せようとします。
この、逃げだした過去を取り戻そうとあがく青年、良二も人間くさくて大好きです。

語り出したら切りがなくなるので、ここまでに。

男くさい映画です。
好きです。

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