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帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ 答えのない事態に耐える力』を読みながら、ネガティブ・ケイパビリティが現在のコロナ禍に必要な概念であると思った。
その備忘録として記す。

ネガティブ・ケイパビリティとは

ネガティブ・ケイパビリティとは、答えが出ない、またはわからない状態の不安や気持ち悪さに耐え、課題として抱え続ける力のこと。
世の中には拙速に答えを出すべきではない問題が腐るほどあるが、人はすぐに「わかった」気になって気持ちを落ち着かせたい生き物である。


新型コロナウィルスに「正解」はない

予防、治療、検査、公衆衛生、ワクチン、特効薬など、対新型コロナにおいて、科学的な「正解」が必ずあるはずだと私たちは考えている。
確かにあるかもしれない。しかし、そうした科学的な「解答」が導き出されるのは数年後のことである。にもかかわらず、私たちはすべてが解明されるであろう数年後の視点に立って、「今はまだ答えがでていないだけ」というマイナスの状況にあると思っている。
しかし、いくら数年度に答えが出るのだしても、今現在答えを出せないのであれば、それはプラスでもマイナスでもなく、単なる混沌の状態である。
今、私たちは混沌の最中にいる。
生きる意味や働く目的に「正解」が出せないのと同じように、新型コロナウィルスにも、今現在は「正解」がない。あるのは現状の最適解だけである。

混沌の中に、正解はない。
誰も正解は知らない。
専門家は、より精度の高い仮説を提示してくれるだけである。
自分なりに最適解を用意して、実践と検証をするしかない。

政治家に「正解を出せ」と突きつけることの愚

政治に対する姿勢も同じ。
このコロナ禍で、日本国民皆が、為政者の行う判断に「正解」を求めている。
非常事態宣言の発出。給付金の一律給付。自粛要請の範囲。休校措置の延期など。
確かにその政治的判断の一つひとつが最適解であったかをチェックすることは必要である。
チェックをしないとまずい政権であることも間違いない。

しかし、コロナウィルスの混沌にいる自分の中の不安や怒りを、安倍政権に集中させすぎるのはお門違いかもしれない。
そもそも政策というものは、無数にあるオプションの中から最適解を提示して、それを調整しながら現実社会に適用していくしかないのだから、 「正解を出せ」と詰め寄るのは、 相手に勝ち目のない口喧嘩を吹っかけるようなものである。
それでも「正解」に近づけていく義務が政治家にはあるが、一般市民がそこにエネルギーを傾注している場合ではない。

「正解」がそこにないときのために

私たちは科学や政治の力を信用しすぎている。
人に不安や怒りをぶつけているよりも、この混沌の中で自分にできることを手探りで見つけていかなければならない。

混沌の中で、ネガティブ・ケイパビリティが思考の基礎体力・持久力として求められている。
インターネットの普及は、さらに「正解」に最速で近づきたい欲求を満たしてくれるようになった。
安定したシステム内ではそれでもいいかもしれないが、不測の事態にはそれでは対処できなくなってしまう。
わからないことをわからないままにして、最適解が導き出せるまでもがき苦しむ能力が、今必要である気がする。

今、求められているネガティブ・ケイパビリティ

そんなことを、帚木蓬生氏の本を読みながらここ数日考えていた。そんな中で、今朝、録りためていたNHK「100分で名著」の夏目漱石特集③を見ていたら、『夢十夜』を解説する中でネガティブ・ケイパビリティについて触れられていた。

19世紀の詩人ジョン・キーツが、たった一度だけ人に宛てた手紙の中で使い、後、20世紀初頭に精神科医ウィルフレッド・R・ビオンが再発見した独特の用語である。ネガティブ・ケイパビリティに関する書籍も、帚木蓬生氏のもの以外には見当たらない。
あまりの偶然にテンションが上がってしまった。

そして、つい先ほど、朝日新聞のオンライン記事に、まさに帚木蓬生氏のインタビュー記事が掲載されているのに出くわした。
帚木氏も、このコロナ騒動にネガティブ・ケイパビリティの必要性を見ていた。
偶然の出会いは、自分には見えない必然の道程に転がっているものである。

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